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第11話 《黒鯛(チヌ)釣り一考》 |
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広島を中心とする瀬戸内海一帯は黒鯛(チヌ)釣りが盛んである。磯まで足を運ばなくても、型さえ問わなければ、波閑かな湾内の防波堤や汽水域の河口部でも釣れる。誰でも狙えるが、賢くて警戒心が強いために簡単には釣れないことと、針掛かりした途端の引きが強いことも人気の秘密があるようだ。 |
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食味の評価は、釣り場や時期によっても大きく差が出るが、基本的には寒の時期から五月初め辺りまでが評価は高い様だ。 |
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私や少々年配のチヌ釣り師には「御荘のチヌ」が憧れだった。長崎県の対馬も同様の評価を受けるが、距離的に無理があるので、大型のチヌ釣りはここから始まったと言っても良いであろう。 |
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「御荘」は愛媛県南宇和郡愛南町の「御荘湾」を示すが、現在の評判は如何なものだろうか。私がせっせと通っていたチヌ釣り全盛期の頃は、九州や大阪からも大勢の腕自慢釣り人が押し寄せていた。私の相手をしてくれた船頭は「楠本さん」と言い、民宿も兼ねて居られた。「磯釣りは魚を釣る前に船頭を釣れ」の通説通り、昵懇にして頂いたお陰か、「御荘の釣りならまかせんさい。」と船頭の次に詳しいのは我であると自負できたものだ。 |
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家内も「御荘なら安心して釣りができる。」とよくお世話になったものだが、その家内の一番の思い出話が昭和53年(1978)4月2日、御荘湾左右口という場所でチヌならぬ「ボラ」をかなりの時間をかけて釣り上げたことである。 |
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家内が言うには、周りの釣り人は殆どが己の竿を上げて「大チヌじゃ、記録物じゃ」と大騒ぎをして注目していたらしい。実はボラだったのだが、流石の私も一瞬「チヌか」と思ったほどのもので、本来水面近くでジタバタするボラが底へ底へと逃げようとした結果だった。なかなかタモ網で掬えず、結局周り中に迷惑をかけて釣り上がった物は、優に70pはある大物だったのである。大チヌが大ボラに化けた顛末だったが、私も永年釣りをやっていてこんな大ボラを見た事は初めてであった。 |
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その磯は船頭のはからいで「シミズバエ」と名づけられたそうであるが、現在でもその名が使われているかは定かでは無いし、使われていたとしても由来はわからなくなっているだろう。 |
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御荘にはその後も大型のチヌを狙って通ったが、「松の下」というポイントで実長59pのチヌを釣り上げたのが最高に止まった。外道では「大島」というポイントで家内が夜釣りにも関わらず30p近くもある大ギスを二尾、「小具バエ」で何とも大きなウスバハギを釣り上げて笑った思い出がある。 |
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その頃はチヌなら湾内どこでも来いと言った調子であったが、そうもいかない話も残っている。ある時、同じ広島方面から来られていた釣り人のご夫婦が、家内が余りにもよく釣るのでうらめしく思っていたそうだ。それに気がついた家内が、自分のポイントを譲り、離れた場所に移動したのだが、折角譲って差し上げたご夫婦には、最期まで釣れず、家内はそのまま釣れ続いてしまったと言う笑い話のような話である。釣りとはこう言ったものなのである。 |
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