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第16話 《石鯛釣りについて−3》 |
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広島市は瀬戸内海のほぼ中央にあり、更に深く抉られたような広島湾の奥深くにある。気候は温暖で、海も波浪注意報が出たところで、波高1.5mもあれば大時化となる。当然のように『荒磯』とは縁がなく、石鯛釣りにも感心は薄い。暫く前までは、釣具店にも底もの釣りの部類に属する小物を見つけることさえ難しかった状況にあった。 |
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このような環境で石鯛釣りを極めるためには、石鯛の居る磯を求めて遠征するしかない。
このため、底物を狙って釣り歩いた場所は、山陰は島根半島、陰岐、浜田、益田、四国では高知県、古満日、中バエ、柏島のムロバエ群礁幸島、更に足摺岬に西海、御五神島と時には釣りクラブの有志達と、時には夫婦釣りで、時にはこの連載の編者を連れて遙々通ったものである。 |
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釣りには個人の努力も必要だが、船頭さんの協力が無くては、単なる理論派になるだけである。私が、西海で「山木屋」と出会ったのは昭和48年頃であったろうか。「山木屋」は西海武者泊湾地区でも有名だと言う。渡船事業組合員でもあるし、会っている中に、性格や態度がおだやかで、その上気持がさっぱりしている、いわゆる虚心坦懐な人物である事が分かった。 |
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出会ってから初めてのうちは渡磯しやすい磯にあげ、徐々に難しい磯へ移って行った。 |
最初は「野地」次は「高茂崎」「鼻面崎」「地蔵鼻」「フタゴ」「アブセ」「ヒラバエ」「ヤッカン」移って行く。 |
渡磯は慎重に磯へ渡しからも見まわり来たり磯によっては船を待機させてくれた。 |
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このような船頭さんなので、私より家内の方がほれこんでしまった。月に2回は武者泊に釣行した。そして釣友も増して行った。船の中であいさつをかわす人、進んで荷物を持ってくれる人、磯の上を運んでくれる人、一年もたたない間に夫婦釣りは有名になってしまった。 |
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上物、底物などについて見なれた磯でも変わった釣り人の目で見ればいろいろと異なった磯に見え、アドバイスをしてくれる。新しいポイントも教えてくれる。石鯛釣りについても様々な知識を授けて貰った。今では当たり前の様なことも、ここで覚えたものだ。 |
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自分では、「石ダイ釣りのすべて」※小西和人氏の本を求めて読みふけり、山木屋渡船の中で釣友から聞いた話を一つ一つ確かめるとともに、磯で実践してみることを繰り返した。『技は実践から身に付く』、間違いなくその通りであった。 |
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※編注:釣り専門誌『週刊釣りサンデー』の元会長、小西 和人(こにし かずひと)氏が先日1月7日に逝去された。あらゆる磯釣りの先駆者であり、バイブルの様な書物を多く創刊していただき、感謝の言葉もない。心からご冥福をお祈りする。合掌。 |
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