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第37話 《寒の釣り(2)》 |
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釣りに限らず、方法は全く同じでも、狙っている獲物(結果)と全く違う結果がでてくることはよくあるものだ。釣りの世界ではこれを『外道(げどう)』という。この言葉は仏語(編者注:フランス語ではありません、仏教用語と言う意味です。)から来ており、本来の意味は『仏教の信者からみて、仏教以外の教え。また、それを信じる者』と言うことらしい。まあ耶蘇教(編者注:キリスト教の日本における別称。イエスの中国音訳「耶蘇」の音読み)から看れば、仏教が外道となるわけだから、要は自分にとって『ハズレ』といった軽い意味に取れば罪はないだろう。 |
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『外道』にも様々あるが、嬉しいものも有れば、金輪際御免だというものもあるが、これも所変われば評価は変わるのでやっかいでもある。底物釣りで、生餌(貝類や小魚類)を使っている場合の外道で、最も嫌われるのが『靫(うつぼ)』である。この魚自体は白身のきれいな魚であり、強壮滋養の効果もあると言われるものなのだが、如何せんその風体、顔立ちが近寄りがたい。さらに獰猛で鋭い歯を持っており遠慮無く噛み付いてくる上、表面は粘液で覆われているため、実に始末が悪い。大型ともなれば1mは超える物も珍しくはなく、釣り上げた時に恐怖すら感じるものである。 |
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先ずは皆さんが敬遠される一番手なのだが、これが南国高知(紀州もそうらしいが確認していない)では珍重されるものだから不思議だ。この地方では専門店もあれば、小料理屋では堂々とメニューにもなっている。お断りをしておくが、私は一度も食した事はない。まっぴら御免である。 |
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今年も性懲りもなく酷寒時に渡礁して大型の底物魚を狙った年下の友人は、予想通り全く当たりのない時間を無為に過ごしたようだ。ところが、最終日の納竿時に途轍もない大当たりに遭遇したと酒肴の話となった。彼は実に話が上手く、聞き惚れることが多いのだが、ホラ話はしない。今回も船頭さんの証明付きだから真実だったようだ。さて、釣りの最終日、迎えの渡船も近づいてきたし、当たりもないと諦めて竿の片付けを始めた途端、とんでも無い大当たりが彼を襲ったとのこと。気持ちの準備もなく危うく海に曳き込まれる処を何とか踏ん張り、渡船の釣り客が船縁で注目する中、大格闘が始まった。船頭も大物と判断したらしく、助手を応援に寄越した。 |
格闘すること・・・時間は不明らしい・・・何とかあと少しまで引き上げた途端、船頭から一言「まあ大きなエイだわ、お疲れさん!」。海面を見ると真っ白になっている(エイは裏返って、腹を上にして上がってくる)、実に畳2枚分、土地にしたら1坪分はあるかという大物。よく釣り上げたものだが、ここに追い打ちの一言「さあ帰るよ、そんなもの要らんから、放しよ。毒があるから刺されないように!」、ギャラリ−からは「すごいね」と「なんだつまらん」のご感想だったらしい。慌ただしく片付けて帰港したとのことだが、流石に筋肉痛になったと笑っていた。話だけでも楽しい外道もあるものだ。 |
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